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真夜中のフェリーボートに乗って6時間の距離にあるルバング島は、 年配の日本人には良く知られた島であるが情報は少ない。フェリーからは、右手にバタアーン半島、左手にキャビテ州や遠くミンドロ島を眺めることができます。また、第二次世界大戦のフィリピン攻防の主役となった要塞島「コレヒドール島」のすぐ近くをフェリーは進みます。少しエアコンの効いた部屋がデラックスで寝台は軍隊式の2段ベッド。但し、ベッドシーツはなし。船にはルバング島の島民が一杯で観光客らしき人たちは全然見当たらなかった。建築用資材が主な積荷で後は、島で販売するのか日用用品がドッサリと目に付いた。ルバング島へは週2便のMORETA船会社だけで他の便はない。これは、後できずいたことであるが潮の具合によって、船のスケジュールが変更になること。ルバング島のティリックの港はそんなに深くないために、満潮のときでなければ船を接岸できない。そのためにそれに合わせたスケジュールがくまれるのである。途中は波も穏やかで快適?な船旅。日の出は5時36分。日が昇るといびきをかいていた乗客がアチコチで起き上がり荷物の整理を始めた。こんなことを書いては失礼かも知れないが、映画で 見た戦後の引き上げ船の光景に似ていた。接岸したらまず真っ先に岸壁で待ち構えていたポーターがわれ先にと乗り込んでくるので、その喧騒が終わるまでしばらく待たなければならない。1週間に日だけの現金収入の仕事である。彼らが必死な理由もよくわかる。船外に出たら北の町ルバング行きと、南の町ロオック行きのジプニーが列をなして客を待っている。これも後で気づいたが全島のジプニーがこの時はティリックの港に集まっていた。船の便がない時は静かな町である。 町に1軒ある簡易食堂はこの時だけオープンしている。私は、帰りの船の予約をして、簡易食堂でノンビリと朝食をとり、騒ぎが治まるのを待っていたらジプニーが1台もいなくなってしまった。別に急ぐ旅ではないので島民から情報を仕入れて気長に待った。到着したジプニーに乗ったのは数人だけで彼らもルバングの町に着く前までに下りてしまった。「ハイ、ルバングです」と言われた場所は、とても町とは思えない田舎!ホテルの所在を聞いたがあるわ けはない。レストランもカラオケと呼ばれる飲み屋もない町ではしょうがない。民宿が1軒あるとのことでそこに世話になることにした。全くのホームステェイで家族の一員なってしまった。(近くに立派な植物園の中にあるようなリゾートホテルがあるにはあったが。高いので結局1泊もせず) 次の日、小野田少尉と鈴木氏が出会った場所への探索。ティリックの町に行ってロオック行きのジプニーを訊ねたが、船の便がない限り1台もないとの事。これにはビックリしたが、陸がダメなら海をで、漁村をブラブラして暇そうな船頭を見つけ交渉した。目的の場所は、アカワヤン川の上流であったが船が行けないため、途中で引き返し漁村に船を置いて村に1台あるトライスクルを貸しきって、ブロールの村へ行った。ここで村役場に顔を出し訪問の目的を語ったところ、当時を詳しく知っているガイド?を付けてくれた。田んぼを横切り山道を分け入り、清流を何回も横断して目的の場所についた。小鳥の鳴き声や清流の流れる音しか聞こえない静かな場所だった。都会の子供たちを連れてきたら喜ぶだろうな・・とフト思った。ルバングの山は高くても標高が600mくらいであまり高木がなく、山すそから村落が簡単に見渡せるので、当時の日本兵 たちは村人が何処で何をしているか手に取るようにわかったはず。 ルバング島は、平和でノンビリと時が流れてゆく小さな島。拳銃を腰にぶら下げた警察官とは一人も出会わなかった。新聞もない。電話も個人の家にはない(但し、携帯電話がビーチに行けば通じる)夜は月明かりで歩けるくらい空気も澄んでいる。半農半漁の決して豊かではない小さな島ルバング島。もう一度行ってみたい島であった。
パイロット養成学校・島内遊覧飛行も手配できます。
  
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